思わず発見 日本の左側通行は○○の名残…?思わず「へぇー」と言いたくなるクルマのトリビア
  • 思わず発見
  • 2018.10.23

日本の左側通行は○○の名残…?思わず「へぇー」と言いたくなるクルマのトリビア

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クルマは私たちにとってとても身近な存在。そんなクルマについて、思わず「へぇー」と言いたくなるようなトリビアがたくさんあります。

今回は、知っているようで知らないクルマの雑学をいくつか紹介。自動車の発展の歴史などを踏まえつつ、クルマの文化や種類、メーカー、パーツなどに関するちょっとした知識をまとめました。

トリビアは知らなくても生活に何ら支障のない知識。しかし、だからこそ知識欲が刺激されるものでもあります。クルマに詳しくない人でも楽しめる話題ですので、ぜひドライブ中の会話のタネにでも使ってみてくださいね。

日本の左側通行は武士文化の名残…?

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クルマ文化について、日本と海外の違いとして語られることが多い「左側通行」。左側通行の国は日本をはじめ、イギリス、オーストラリア、インドなど、世界で3割ほどとなっています。

そんな日本では当たり前となっている左側通行ですが、日本が左側通行を採用している理由には、かつての武士文化の名残であるという説があります。武士は一般的に刀を左の腰に差しており、人と人がすれ違ったときに刀のサヤがぶつかってしまわないように左側を通行するのが近代の道路上の規則に影響したということです。

また、明治時代に交通ルールを作る際、すでに左側通行を採用していたイギリスの法規を参考にしたため日本も左側通行になった、という説もあります。現に、明治時代に日本が先進国であるイギリスを手本にした例は多く、日本の鉄道はイギリスの指導を受けて作られました。

日本で左側通行の規則が明文化されたのは、1881(明治14)年のとこと。警視庁通達によって「車馬や人力車が行き合った場合には左に避ける」と規定されました。しかしその段階ではまだ左側通行は東京限定の規則であり、全国的に左側通行がルールとなったのは「道路取締令」が施行された1921(大正10)年からです。

今となっては日本の道路上の常識となっている左側通行に、実はこのような歴史があると考えると興味深いもの。もし日本で武士が台頭せず、左腰に刀を携える習慣がなければ、私たちは今頃クルマで道路の右側を走っていたかもしれません。

電気自動車はガソリン車よりも昔から存在していた!

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環境などに対する配慮から「電気自動車(EV)」は非常に注目される存在となっています。まだまだ一般的とは言えないものの、世界的に電気自動車の普及が推進されており、欧米をはじめとする諸国が2030〜2040年頃までにガソリン車・ディーゼル車といったエンジンを積んだ自動車の販売をなくすという目標を打ち出しています。

近年のEV技術の進化は著しく、ガソリン車に代わる近未来のクルマというイメージを持つ人も多いはず。しかし、歴史的に見ると電気自動車は完全なニュータイプではなく、ガソリン自動車よりも早く存在していたという事実があります。

遡ることおよそ250年、自動車そのものは日本がまだ江戸時代だった頃、1769年にフランスで誕生しました。世界初の自動車は蒸気のエネルギーを使用し、軍隊の重い大砲を運ぶものとして開発。その後、ワットによって新方式の蒸気機関がもたらされ、蒸気自動車が増えました。

一方で、1800年頃には電池、1820〜1830年頃にはモーターが誕生。そして、1828年のハンガリー、1832〜1839年のスコットランドなどにおいて電気自動車は発明されたとされています。時期・人には諸説ありますが、少なくとも1830年には電気自動車が存在しており、1873年には電気式四輪トラックが実用化されました。

対して世界初のガソリン車は、1870年にオーストリアで発明されたと言われます。1885〜1886年にはドイツのゴットリープ・ダイムラーやカール・ベンツによって開発されたガソリン車が特許を受け、ガソリン車の歴史がスタートしました。

このように電気自動車の歴史はガソリン車より古いのです。史上初の自動車最高速度100km/hを達成したのも電気自動車であり、1899年のフランスで「ジャメ・コンタント(=決して満足しない)号」が105.9km/hを記録しました。

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▲電気自動車「ジャメ・コンタント号」

電気自動車は排気ガスや臭いを出さず、音や振動も静かでギアチェンジも必要ないという長所があります。また、ガソリンエンジンに必要な点火装置の製造が当時は難しかったということもあり、電気自動車が普及。1900年頃にはアメリカの自動車の4割が電気自動車だったと言われます。

しかし、1904年にはフランスのガソリン車が最高速度168.2km/hを突破。その後、徐々に製造技術も進歩していき、約100年を経てエンジンを積んだ自動車が主流である今に至るのです。今後、電気自動車が一般的になれば、EV技術が著しく進化しているこの瞬間が100年後には自動車史の転機として語られるかもしれません。

ポルシェやランボルギーニの始まりはトラクター…?

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スポーツカーやスーパーカーのメーカーとして知られるポルシェ(ドイツ)やランボルギーニ(イタリア)。これらのメーカーが、かつて農作業等で活躍する「トラクター」を製造していたことをご存知でしょうか。

ポルシェは、1931年にフェルディナンド・ポルシェがエンジンや車両デザインのエンジニアリング等を行う事務所として設立しました。1934年、彼はヒトラーによるドイツ政府から国民車(ドイツ語で「フォルクスワーゲン」)の設計・製造を委託され、後に“ビートル”の名で親しまれる「フォルクスワーゲン・タイプ1」が生まれるに至ります。

そんな後の名車の製造が委託されていた一方で、ドイツ政府はポルシェに国内の農業を改革するような大量生産トラクターの開発も命じていました。そこで小型トラクター「タイプ110」が生まれ、1937年から数十年にわたってポルシェはトラクターを製造・販売していたのです。

ちなみに、フェルディナンドの息子・フェリーによって、ポルシェの名前を冠する初のクルマである「ポルシェ・356」が誕生したのは、トラクターの発売から10年以上先の1948年のこと。さらに、ポルシェの伝統ある名車として変わらぬ気を誇るスポーツカー「ポルシェ・911」の発表されたのは1963年のことであり、ポルシェのトラクターはこういった名車たちよりも早くポルシェのクルマとして存在していたのです。

▼ポルシェのアフターサービスを題材とする動画。ポルシェの赤いトラクター「P111」が登場する

ランボルギーニの歴史においても、トラクターは重要な存在。ランボルギーニの創設者であるフェルッチオ・ランボルギーニは、第2次世界大戦後に整備兵の経験を生かし、軍が放出したトラックを民生用に改造して販売していました。

当時、イタリアで農業が機械化されていなかったことに注目した彼は、1949年にランボルギーニ・トラットリーチSpAを立ち上げ、自社開発のトラクターを製造・販売して大成功を収めます。その後、スーパーカーのメーカーにシフトし、1963年に現在のランボルギーニ社が設立されました。

こうしてトラクターの製造から始まったランボルギーニは、現在も自動車製造とは別の会社でトラクターを製造・販売しています。近年のモデルは、イタリアの世界的デザイン会社であるイタルデザイン・ジウジアーロがデザインを手がけ、非常にスタイリッシュなトラクターとなっています。

▼ランボルギーニのトラクター(2014年発売モデル)のプロモーション動画

人に歴史あり、というのと同様に、自動車メーカーにもさまざまな歴史があるもの。クールでハイパフォーマンスな自動車を作っているイメージの強いポルシェやランボルギーニの意外な過去ではないでしょうか。

タイヤの色はなぜ黒い?

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クルマは便利な移動手段であるとともに、人のセンスが表れるファッションの一部でもあります。ボディカラーをはじめ、各パーツや内装に至るまで多様なアレンジが楽しめますが、「タイヤ」だけは、ほぼすべてのクルマにおいて同じカラーになっているはず。

クルマのなかで唯一と言っていいほど選択肢が黒一色であるタイヤですが、当然それには理由があります。タイヤが黒いのは、油・ガスなどを原料とする炭素の黒い粉「カーボンブラック」という材質を使用しているからです。

ゴムの色はもともと白や飴色。そのため昔のタイヤは白色が一般的で、先ほど登場した電気自動車「ジャメ・コンタント号」の写真からもタイヤが黒ではないことを窺えるでしょう。また、世界最大級のタイヤメーカーであるミシュラン(フランス)の、積み重ねたタイヤをモチーフとするキャラクター「ビバンダム(日本では「ミシュランマン」とも)」も白色で知られますが、実はジャメ・コンタント号のタイヤはミシュランのものが使用されていました。(ビバンダムが白色である理由は、当時タイヤが高級品で白い紙に包まれていたことに由来すると言われます。)

このように元は白かったタイヤですが、カーボンブラックを加えることでゴムの強度を飛躍的に高められることが1910年頃に明らかになり、そこからタイヤの色は黒が主流となっていきます。

タイヤは重量のあるクルマ本体を支え、エンジンの力を地面に伝える重要な部分。安全に走行するためにも耐久性は非常に需要です。また、従来のゴムと比べて、カーボンブラックを加えたゴムは紫外線による劣化を抑えることも可能。タイヤが黒いことには、実はこのような意味があったのです。

■黒くないタイヤもある…?

タイヤの色が白から黒に移り変わるなかで、側面は白いゴムを使用した「ホワイトリボンタイヤ」と呼ばれるタイヤも生まれました。急に色が変わってしまうことを避けたものでしたが、アメリカでこのデザインが人気になります。おしゃれなアメリカの旧車等にホワイトリボンタイヤが取り付けられている姿を、画像などで見たことのある人もいるかもしれません。

このようにして今となってはほぼ黒一色となったタイヤですが、最近の自転車でおしゃれなカラータイヤがあるように、クルマについてもごく少数ながら黒以外のタイヤが存在します。また、2013〜2015年頃には、日本の世界的タイヤメーカーであるブリヂストンから側面に色柄をプリントできるタイヤなどが販売されていました。

こういった例がある以上、いつかタイヤまでカラフルになる日が来るのでしょうか。黒いタイヤに満足していない方は、ぜひカラータイヤについても調べてみてくださいね。

知ってた…?クルマにまつわるトリビア

記事中でも触れたように、自動車が誕生してからおよそ250年の時が経ちました。クルマの発展の歴史や技術、それを取り巻くあらゆるものに、知れば興味深いトリビアが詰まっています。あなたは今回紹介した知識をご存知でしたか?

私たちの生活に欠かせない存在であるクルマ。疑問に思うことがあれば、好奇心のおもむくままに調べてみると、思わず「へぇー」と言いたくなるおもしろ知識に出会うかもしれません。

*記載している内容は取材時のものです。
*過去についての記述には不確定な要素を含む可能性があります。

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