みんなで行こう 【クルマが運ぶエピソード⑥】『弟はいつも、僕の先を行く』著:ゆりいか
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  • 2017.06.23

【クルマが運ぶエピソード⑥】『弟はいつも、僕の先を行く』著:ゆりいか

1.あの日、追いかけられなかったこと

「おれは兄貴とはちがうけ、おれは兄貴とはちがうけ」

泣きじゃくる弟は、僕の方を見ずに、その言葉を何度も口に出した。たしか、僕が14歳で、弟が12歳の頃だったはずだ。

いっしょに近所のお弁当屋さんに行った帰り道に突然、弟は突然泣き出して、そう言ってきたのである。

僕は、訳がわからなかった。

別に昨日今日ケンカをしたわけでもないし、弟の気にさわるようなことをやったつもりもなかったのだ。

問いかけようとすると、弟は早足でグングン帰り道を急いだ。

両手にチキン南蛮弁当の袋をぶら下げていた僕は、中身が崩れるのが心配で、弟に追いつくことができなかった。小さい背中は確実に遠ざかっていった。

「反抗期かしら…。」
僕の報告を聞いて母は首をかしげていた。それまで特別、仲が悪い兄弟ではなかったのだ。

10歳になるまで、一緒の布団に寝ることになんの抵抗もなかったし、それ以降も大きなケンカをするようなことは無かったように思う。

反抗期、という言葉にも僕はあまりピンと来なかった。

自分が反抗期らしい反抗をあまりしなかったこともあるけれど、どうして両親ではなく、僕に当てつけるかのようにするのか、理由がつかめなかった。

その日、弟は自分の部屋から出てこなかった。夕飯の弁当を食べながら母は、「なんでもお兄ちゃんと同じなのが気に食わなかったのかも…」と漏らした。

思えば、同じ習字教室に通い、同じスイミングスクールに所属し、同じ学校に通っていたのだ。なにかと比較されることもあったのかもしれない。

祖母は僕以上に弟を可愛がっており、いつも「兄ちゃんに負けんごと、はげまにゃならんばい」と言っていた。

2歳上の兄に追いつくというプレッシャーが弟の中にあって、反抗期にそれが爆発したと考えれば、話は分かりやすくなるけれど、本当のところは分からなかった。

ただ、それから数日後に弟はスイミングスクールを辞めて、空手の道場に通うようになった。

2.足して2で割る

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そもそも、弟と僕はあまり似ていない。

見た目については、僕が母親に似て、弟が父親に似たといえば分かりやすいだろうか。

性格についても、後ろ向きで引っ込み思案だった僕に対して、弟は活発的で周囲をグイグイと引っ張っていくような感じだった。

だから、「ちがうけ」と言われても、「そうだな」としか返せないのである。

生まれた時から、いっしょの家でいっしょに寝食をともにしながら生活していたのだけど、弟の方は何をするにもそそっかしい。

RPGゲームを共同でプレイしていても、僕がボスにたどり着くまで、じっくりと周辺でレベル上げやアイテム調達をするのに、弟はサブクエストを飛ばして低いレベルのままでもボスに挑むようなところがあった。

ご飯を食べるにしても、必ず先に食べ終わるのは弟の方だった。部屋の片付けも弟の方がささっと出来た。逆上がりも跳び箱も2重跳びも、先に達成できたのは弟の方だった。

「落ち着きがない」という母からの説教は、すべて弟に向けられたものだった。対して僕への説教は「鈍臭い」という一言に尽きた。

「足して2で割ったらちょうどいいのに…」という母の言葉を、僕らは何度となく聞いたように思う。

あの言葉を弟が口に出して以降、弟はますます落ち着かなくなった。

空手を2年ほど続けたと思ったら、なんの前触れもなくやめて、科学部に入部して、ロボットコンテストに挑戦するようになった。

それも、顧問とウマが合わないとかで半年くらいですぐにやめて、高校受験に集中するようになった。

僕と弟は同じ高校に入学した。僕が文芸部に所属し、ノートの隅に、短歌やら俳句やらをぼんやりと書き綴っていた頃、弟はバンドサークルを自分で立ち上げ、友人たちと日々練習に明け暮れていた。

家に帰ると、複数の女の子たちのクツが並べられていて、部屋からはキャッキャと楽しそうな声が聞こえてきていた。

エンジンの馬力が違ったのかもしれない。

次から次へと新しいものに手を出しては、あっという間に手放して次へと進んでいく弟を見て「何をそんなに急いでいるんだろう?」と疑問に思っていたのだが、おそらく僕と弟とでは、生きるスピードがまるで噛み合っていなかったのだろう。

そしてゆっくりとしか進めない自分に対して、なんだか情けないものを感じていた。

ひとつのことに凝りすぎて、なかなか先へと進もうとしない性分は、生き方においても変わらなかった。

僕は高校を卒業して逃げるように上京して、その2年後に弟は名古屋の大学へと進学した。

3.仮免におちる

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大学に入学してから、弟と連絡をとることはなくなった。

家族のことは全て母親との電話を介して行われた。

「直接あんたたちで連絡を取ればいいじゃない」と不思議がっていたが、なんとなく気まずかったのだ。

弟から連絡が来ることも、もちろんなかった。

僕が就職活動に入った頃、弟はフランスへと留学に行くことが決まった。

いつの間にか弟は英語とフランス語をマスターしていたらしく、アルバイトで日本に来た留学生にフランス語で日本語を教えるという、なんかすごいことをやっていたらしい。

一方の僕は、物事が遅々として進まず、焦って空回りする日々の繰り返し。自分がどの進路を目指して進んでいたのかもよく分からないまま、闇雲に面接を受けるのが辛くなって、8月で就活を辞めた。

そしてその1年後の冬、母から電話がきた。
「弟が免許とるって」

「そうなのか、だからどうしたの?」

「東京の合宿所に通うから、あんたのとこのアパート住まわせてやって」

「は?」

思わず聞き返してしまった。

事情を聞くと、留学も終わり単位も取得し終わった弟が、しばらく東京で遊びたいらしく、それなら兄の家を借りれば安上がりだと考えたらしい。

全力で拒否したかったが、もう免許センターの予約は済んでいるらしく、3週間滞在することはすでに決まっていた。

僕は大学を卒業してから、ふらふらとバイトとライターの仕事を掛け持ちする日々だったので、親に対して強く抗議する力もなかった。

かれこれ5年も話さなかったのだ。

何をしゃべるべきなのかも分からなかった。
なんだか、自分の生活を監視しに来たみたいで、胃が痛かった。

2日後の夜、弟はきた。
僕の安アパートに上がり込んだ弟は、子どもの頃の泣き顔とはかけ離れた姿をしていた。

アゴに無精髭をたくわえ、筋肉が盛り上がり、冬なのに肌が焼けていた。
弟ではない人が来てしまったのかな、とドギマギしたことを覚えている。

「久しぶり…」

「ん…」

と弟は返事なんだかよく分からない相槌を打つと、僕の部屋にズカズカと上がり込み、中央に自分の荷物を広げた。

そしておもむろにスプレーを取り出して、僕の部屋中にまき散らした。

「こうでもせんと、兄貴の部屋じゃ住めんけんな」
むせ返るようなラベンダーの香りの中で、弟はボソッと言った。

失礼なところはまるで変わっていなかった。

その夜から、結局僕の部屋に泊まることにはなったのだけど、お互い必要なこと以外、ほとんど口を開かなかった。

そもそも、弟が部屋に帰って来ることの方が少なかったのだ。

荷物を置いてからは「◯◯がこっちにいるらしいから」「◯◯と約束があって」と、せわしなく外に出ていった。免許の勉強をしているわけでもなさそうだった。

きっと余裕なのだろうと、僕は遊び呆けている弟を気に留めないようにした。

なんだか眩しいものが目の前を走り続けているような気がしたのだ。

僕も家にじっといるのが気まずくて、取材がない時でも外に飛び出し、レストランで黙々と取材テープの文字起こしをしていた。

ただどこかで弟のことは心配だったので、夜になると、家に戻って弟の帰りを待つようにした。

弟にとって東京は、初めての場所だったのである。

そして2週間経って、弟から仮免に落ちたことが告げられた。

4.スピードの差は、距離を生まない

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「…親父の匂いがする」

「そりゃ、元は親父のクルマだしな」

「兄貴の匂いもある、ほんとむせ返るような臭さだな」

「やかましい」

いつもよりショボくれた顔をしていた弟を、僕はクルマに乗せた。

冬の環八通り抜けてから、多摩川方面へとまっすぐ進んだ。川沿いに行きたいという弟のリクエストだった。

仮免に落ちた弟は、力なく笑っていた。

「兄貴とはちがうけ」といって泣いていた頃の顔に似ていて、こいつはやっぱり弟なんだなと思った。

「勉強しなかったわけじゃないんだ」
弟は自分に言い聞かせるように、うつむいたまま言い訳していた。

「担当官が女子ばかり親切にして、俺には何のアドバイスもしなかったんだ。完全に俺を嫌っていたとしか思えないね。あんな顔で優しくしたところで、言い寄ってくる女子がいるわけでもないだろうに…。」

はい、はい、と僕は軽く聞き流した。
自分が悪いとわかっている時、弟は必要以上の悪口を言うのだ。

狭い通りを抜けて、高い土手へ続く道を乗り上げると、多摩川沿いに出た。

急に視界がひらけて、岸辺に広がる野球のグラウンド場が見えた。

中学生たちがのびやかに掛け声を送りあっていた。日曜日だった。

「もっと早く走れんの?」

「走ったところで、川は動かんよ」

「のんびりしすぎて、イライラする。目的地はまだかよ」

「なに言ってんだ。窓の外を観てみろよ、もうとっくに目的地だ」

あっ、と弟は初めて窓の外を眺めた。
目を丸くして、多摩川の光景に見入っていた。
グチグチとつぶやいていた弟が、急に静かになった。

「…クルマを手に入れたら、こんな風に走れるんかな」

「スピードを出し過ぎなければ、な」

2人でクックッと笑った。駐車の時にスピードを出し過ぎて壁にぶつけたのが、弟が仮免に落ちた原因だった。

クルマの窓を開けると、冷たい風が入り込んできた。

少し身震いしたが、さわやかな気分になれた。
なんだか、あの頃からようやく弟とまともに話せたような気がしたのだ。

スピードというのは、僕だけが気にしていたものなのかもしれない。
速さなど関係なく、2人の距離はずっと変わらない。

相変わらず、2人とも「足して2で割る」ようなバランスの関係であることも変わらないのだろう。

「ずっと引っかかってるんだが、そのあご髭どうにかせんのか」

「俺は兄貴とは違うけ」

弟は笑って答えた。
このまま、多摩川を下って海を見ようという話になり、僕はいつもより少しだけクルマのスピードを上げた。

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