みんなで行こう 【クルマが運ぶ、エピソード④】『冬の江ノ島へ 海沿いをたどって』著:ゆりいか
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  • 2017.02.07

【クルマが運ぶ、エピソード④】『冬の江ノ島へ 海沿いをたどって』著:ゆりいか

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歌舞伎町ゴールデン街の文壇バーで活躍するゆりいかさんが、クルマのある生活を綴るエッセイ”クルマが運ぶ、エピソード”。第4回目となる今回は、江ノ島へドライブ。

仕事に明け暮れ、先へ先へと延ばしていた自分のやりたいこと。仕事に追い詰められたときにドライブした江ノ島で、ゆりいかさんは何を得たのでしょうか?

「いつか、釣りに行こう」、「いつかね」

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早朝5時、まだ暗い国道134号線を走り続ける。助手席に座る同居人は、座席に頭を預けて寝息を立てている。

1月7日、正月も過ぎて、普段は鎌倉巡りの観光客のクルマで渋滞するこの道も、今日はさすがに滞っていない。海沿いの道にまだ陽は昇りきっておらず、海岸線も波も、はっきりと見ることはできない。

「暇ができたら釣りに行こう。」

そう言い出したのは、大学時代からの友人で、3年間も同じ部屋で生活を共にしている同居人からだった。

1年前から釣りにハマった彼は、釣り道具を揃えて、玄関近くに置くようになり、いつでも海にでかけられるようにしていた。

もともとインドアな彼が釣りに手を出すのは意外だったが、じっと釣り糸を垂らして待つという地道なところが性分に合ったらしい。

時折、釣り上げた魚を家にまで持ってきて、焼いたり天ぷらにしたりしていた。部屋の中に漂うかすかな磯の香りが、食欲を刺激する。

しかし、「いつか、釣りに行こう」という同居人の誘いに、僕は「いつかね」と素っ気ない返事しか返せないままでいた。

正直に言えば、その余裕がまるでなかったのである。

去年の僕は、たまたま重なってしまった仕事に追われていたこともあって、すっかりふさぎ込んでいた。毎日が特別忙しかったというわけではない。

ただ、慣れない案件の長期仕事を引き受けてしまったために、そのことが常に頭から離れず、どこへ行くにも楽しめないというのが、半年以上にわたって続いた。そう言ったほうが正しいだろう。

取材に行き、執筆する。

その単純な作業以上の複雑な工程が生まれる仕事だったし、そこに予想していなかったハプニングも重なって、自分に向いていない仕事をずっと引き受けているという気持ちが、僕の足を重くした。

「いつかね」がいつになるのか、僕にもわからなかった。

不思議なもので、仕事で気持ちが塞がってしまっている時というのは、「何をすれば自分は楽しいのか」がわからなくなる。

だから、友人からの遊びの誘いにも「それをすれば自分は楽しくなるのだろうか」と心の底で疑ってしまう。

そして、「疑ってしまっている時点で、本気で楽しむことなんてできないんだろうな」と諦めてしまう。

結果、「何をしても今の自分は楽しめない」という気持ちが深まり、よりいっそう本当に楽しいことが何なのか、わからなくなる。

自分で自分の「楽しさ」のハードルを上げてしまっているのである。

この考え方の流れは、冷静になるとおかしい。楽しさを疑わなければ済む話だし、能動的に楽しむことを考えなければ、「楽しい」は生まれてこないのだから。

しかし、当人はどこがおかしいのか気づけなくなっている。そうなると、どうなっていくかと言えば、ただただ、毎日がつまらなくなっていくばかりなのである。

同居人の釣りの誘いに対してもそうだった。楽しさのハードルを自ら上げてしまったことで、

「釣りなんかしても満足しないんだろうな」

「今は釣りなんてしている場合じゃないな」

という気持ちが生まれ、それが結局、「いつかね」という言葉になってしまっていた。そうやって、楽しいことを引き伸ばし続け、気づけば1年がすぎていた。

「釣れなかったら、どうするんだ」、「そういうもんだよ」

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「こんなんじゃダメだ!」という気持ちが湧いたのは、正月を過ぎてからだった。

去年で大方のやっかいな仕事が片付いたということもあり、今まで縮ませ続けていたバネが解放されたような気分になったのである。

ぽっかりと空いたところに、ずっと保留し続けていたことをやろうという気持ちが生まれた。同居人と相談した結果、未だに行ったことのない江ノ島までクルマを走らせてみようということになったのである。

ただ、その時に至っても、まだ不安はよぎっていた。

「自分は江ノ島へ行って本当に楽しむことができるのだろうか」と。

残念なことに、僕は同居人から提案されるまで、江ノ島という場所がどういった場所かというのもよく知らなかったし、釣り自体も子供の頃に一度か二度、体験した程度だった。

釣りのテクニックはもちろん、魚の知識もない。

もし、まったく釣れなかったらどうするのかと同居人に尋ねたら、「そういうもんだよ」と言われ、余計にモヤモヤとした気持ちをつのらせた。

江ノ島までは、高速を使えば都内からであれば1時間半弱ほどで到着する。

ただ、同居人からの「せっかくなら行ったことのない海沿いを走ってみたい」という提案もあって、横浜横須賀道路の「朝比奈インターチェンジ」で高速を一度降りて、一般道に入り、鎌倉市に到着してからは、海に近いコースを通ることにした。

連休はとうに終わっていたが、まだまだ帰省ラッシュの渋滞があるかもしれないという危惧から、朝の4時に出発した。が、提案者の同居人はクルマに乗ってすぐ寝てしまったわけで、運転を引き受けた僕はいささか腹をたてていた。

よくよく考えれば、こんな早い時間に出ても、海がよく見えるわけはないのだと気づいたのは、実際に海沿いの道を走り始めてからだった。

コンビニで朝食を買うために小休憩をとっているうちに、朝陽は海から昇りはじめていた。

さすがの眩しさに同居人も目を覚まし、おにぎりにパクつきながら、海岸沿いを眺めた。砂浜と海を間近でみるのは何年ぶりだろうと考えたが、随分と昔のことでよく思い出せなかった。

江ノ島は、小さな陸繋島だ。

神奈川の中でも有数の観光地とされ、島には、珍しい木々や磯浜、岩場が各所にあるため、磯遊び、釣り、ハイキングなど、地元の人たちも行楽地として利用しているというのが、来るまでに何となく調べた江ノ島の情報だった。

特徴的なかたちの展望台が見え始めた頃から、同居人の口数も多くなり、これまで行った釣り場の話や、近辺で釣れる魚の話などをした。

「クロダイやメジナ、イシダイが有名だけど、有名なのはなかなか釣れないらしいからね。まぁやってれば、なんか引っかかるでしょ。」

にわか知識を大雑把に語れる同居人が少し羨ましく思いながら、「せっかく来たのだから、たくさん釣らないと損だな」と、江ノ島への道を急いだ。

「本当に釣れないんだな」、「だから言っただろ」

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江ノ島内にある駐車場の横には、整然とヨットが並べられており、マストの掛けられていない無数の帆が、天を指すように立っている。

クルマのドアを開けると、強い潮風が吹き寄せてきて、耳に冷たくあたる。コンクリートで高くそびえ立つ堤防の上には、すでに釣り人たちの荷物が置かれていた。

同居人が釣り道具の準備をしている間、堤防沿いを少し歩いてみると、すでに釣りを楽しむ人たちが固まっている。ルアー釣りの人が多いのか、アクティブに竿を振り続けている。

準備を終えた同居人から手渡された竿を握り、餌となる団子を針にくくりつけ、恐る恐る振りあげた。おだやかな波の中に糸の先は消え、ブイがゆったりと漂っている。

この後どうすればいいのか尋ねると、ただそのまま待っていればいいと返ってきた。

糸を垂らし、ただ待つ。ただ待っている間、特に何をするわけでもない。竿を握っているだけだ。ただ本当に待って、ときどき竿を上げては、もう一度落とす。

それを何度も繰り返す。それだけである。

時折、竿の先についていた餌がとれてしまったり、何かに引っかかったような気がして竿を戻すと気のせいだったり。本当に静かに待つだけなのだ。

遠く沖のほうで、ウミウの大群が海面に浮かび、それぞれ潜って魚を獲っている。自分たちと比べたら、ウミウたちのほうがよほどアクティブに魚を獲っているように見える。

1時間ほど、同居人との会話で時間はもっていたが、やがて静かになり、それぞれぼんやりと海を眺めて竿を握っているだけになった。

「本当に釣れないんだな」

「だから言っただろ」

他の釣り人たちの中にも、釣っている気配はない。騒がしく動き回るのはトンビとカラスばかりで、寒空の中、ぼんやりとしている人ばかりだ。

竿の先は、ただただ広大な海が広がっている。吸い込まれるように、水平線のかなたにじっと眼を向けてしまう。

視界そのものが広がったような感覚があった。

ただ、それを見ているだけでよかった。

そういえば、こんなふうになにかをぼんやりと眺める時間なんて去年はあっただろうか。

この待つだけの時間は完璧に自分だけの贅沢な時間だという気がして、とても居心地がよかった。もはや、魚が釣れるかどうかといったものは、どうでもよくなっていた。ただ、この時間だけを大切にしたい。そう思うようになっていた。

缶コーヒーをすすり、トンビにとられないよう、細かくちぎりながらサンドイッチを口に放り込む。相変わらず、竿にはなんの感触もない。

ただ、そうやって釣りをしているというだけの充足感が、僕を充分に満足させてくれていた。

「結局こういうので、よかったんだな」、「そうだな」

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いつの間にか、陽が天高く昇り、釣り客の数も多くなってきた。

結局、何も釣れなかったが、釣りは引き上げて、少し江ノ島を周ってみることにした。

江ノ島は小高い山のようになっており、頂上付近には弁天様を祀っている江島神社がある。その道沿いには野生のツバキの花が咲き、時折、急な斜面や断崖絶壁が顔を覗かせる。

2人で写真を撮りながら、ゆっくりと登っていく。思えば、こうして同居人と2人で観光地を歩くというのも、久しぶりだったかもしれない。

忘れられないのは、江の島岩屋という自然の洞窟だ。狭く、湿気の高い洞窟の中を、手渡されたロウソク片手に進んでいく。

中には江ノ島の貴重な歴史的建造物が静かに眠っている。道順を進んでいくと、急に光が差し込む場所があり、見渡せば、また海が広がっている。

些細な散歩程度の観光と思っていたものが、思わぬ大冒険をしたような気持ちになり、感動している自分がいた。こんな興奮も、思えば随分していなかった。

自分に余裕のない状態で、何か楽しみを見つけるのは難しい。「楽しい」のハードルを自分で上げすぎてしまい、余計に気落ちしてしまう。

大切なのは、落ち着いた中で、自分から楽しみを見つけにいくということなのだ。

ただ、そこにあるものを楽しめるような落ち着いた心持ちで過ごすこと自体が、自分を保っていく上でとても必要なことのように思えた。

江の島で釣りをし、散策して気づいたのは、そうした自分の中の余裕の持ちようだったのだ。魚が釣れたら楽しいわけではない。釣るという行為自体に楽しみはすでに備わっていたのである。

「結局こういうので、よかったんだな」

帰途の車内、独り言をつぶやくと、

「そうだな」

と、同居人が返事した。

何を感じとって返事したのか。助手席を振り向くと、彼はもう寝息を立てはじめていた。僕のクルマは、海沿いの道を、ゆったりと走り始めた。

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