知る楽しみ 世界一売れた伝説のスポーツカー!?国産車が示した新しい道【日産・フェアレディZ】
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  • 2018.06.22

世界一売れた伝説のスポーツカー!?国産車が示した新しい道【日産・フェアレディZ】

フェアレディZ1

スポーツカーは、自動車の“走り”という原点を追求したクルマ。

走りの性能はもちろん、デザインや快適性に至るまで、いつの時代もその存在は多くの人の憧れの対象となってきました。一方で、乗ってみたいという気持ちはあるものの、スポーツカーは手が届かない高嶺の花といったイメージを持っている方もいるかもしれません。

しかし、そういったジャンルにおいて、性能やスタイリッシュなデザインをそのままに、手頃な価格で購入できるという身近さをアピールし、世界的に大ヒットした伝説を持つ国産スポーツカーがあります。

それが今回紹介する「日産・フェアレディZ」。1969年の誕生から現在に至るまで、日本はもちろん、アメリカなどの海外諸国で厚く支持され、日産を代表するスポーツカーのひとつとなっています。国内では「Z(ゼット)」の愛称で親しまれ、古くよりパトカーに採用されていることでも知られます。

高級スポーツカーが台頭する時代に、フェアレディZが世界に示した新しいスポーツカー像とその背景、そして半世紀にわたる発展の道のりを見ていきましょう。

出典(表紙):日産公式(https://www3.nissan.co.jp/vehicles/new/z/exterior_interior.html)

半世紀にわたるスポーツカーとしてのDNA

出典:日産公式(https://www3.nissan.co.jp/vehicles/new/z/exterior_interior.html)

出典:日産公式(https://www3.nissan.co.jp/vehicles/new/z/exterior_interior.html)

「フェアレディ」の起源は、1960年にまで遡ります。

そもそも日産は戦前よりスポーツカーの開発に力を入れており、1952年には戦後初となる国産のスポーツカー「ダットサン・スポーツ DC3」を完成させました。(ダットサン=日産自動車の前身のブランド)

その後も開発を進め、1958年にはオーストラリアのラリーに参加し、クラス優勝を果たします。また、1963年の第1回日本グランプリでは、イギリスの強豪を相手に優勝を収めました。

同時に、モータースポーツでの活躍がブランド力を高めるという事実を目の当たりにし、販売を伸ばすためにはスポーツカーが必要、という考えも深まります。日産の活躍ぶりに、この頃からほかの国内自動車メーカーも続々とスポーツカーを発売していきました。

そういった流れのなかで生まれたのが、フェアレディZの源流となる「ダットサン・フェアレディ」(当時は「フェアレデー」という表記)。初代(SPL212型)は1960年1月に発売しました。

出典:NISSAN Heritage Collection(https://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=274)

出典:NISSAN Heritage Collection(https://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=274)

▲初代ダットサン・フェアレディ(SPL213型,1961年)

SPL212型は小型スポーツカーとしてアメリカである程度の評価を獲得し、同年10月にはSPL213型へマイナーチェンジ。これらの初代は、500台程度しか生産されていない貴重なモデルです。

アメリカへの輸出をメインとしていたフェアレディですが、2代目からは日本向けのモデルも発売されるようになります。海外へは「ダットサン・スポーツ」の名前で販売されていました。

2代目となるフェアレディ1500(SP310型)は1962年に発売。その後もエンジン性能などが向上し、1967年に登場したフェアレディ2000(SR311型)は最高速度205km/hと、国産車最速の存在となりました。

■「フェアレディZ」の名前の由来

主に日本国内における呼称である「フェアレディZ」。そこにはどのような意味があるのかご存知でしょうか。

フェアレディという名はブロードウェイでヒットしていたミュージカル「マイ・フェア・レディ」に由来しており、当時の日産社長がミュージカルに感銘を受け、その人気にあやかりたいという思いからこのネーミングとなりました。

「フェアレディ(Fairlady)」とは“美しいお嬢さん”を示し、さらに「Z」はアルファベット最後の文字として、“未知への可能性と夢”を意味しています。

このような意味を持つ名前ですが、国内のファンの間では「Z(ゼット)」という呼称が一般的。また、海外では「NISSAN 370Z」といった名前で販売されており、「DATSUN Z(ダッツン・ズィー)」や「Z-car(ズィーカー)」などの愛称で親しまれています。

初代フェアレディZがアメリカで大ヒット!

出典:日産公式(https://www3.nissan.co.jp/vehicles/new/z/exterior_interior.html)

出典:日産公式(https://www3.nissan.co.jp/vehicles/new/z/exterior_interior.html)

フェアレディZの発展を語るうえで欠かせない存在が、アメリカ日産の初代社長である故・片山豊氏です。アメリカにおいて彼は“ミスターK”や“Father of Z-car”と呼ばれており、現在に続くスポーツカーのビジョンを広めた存在として語り継がれています。

片山氏は1960年よりアメリカへ渡り、まだ日産の認知度が低い状態の頃から地道に販売網を整備していきました。そういった努力が実り、ダットサンブランドはアメリカで受け入れられるようになりますが、彼はさらにブランドイメージを向上させるため、スポーツカーの販売を提案。

当時、アメリカではジャガーEタイプやポルシェ911といったスポーツカーが人気でした。しかし一方で、そういったクルマは高価であるために手が届くのは一部の人たちのみ。

また、日産でもスポーツカーである前述のダットサン・フェアレディを販売していたものの、オープンカーであるため実用性は低く、購入するユーザーは限られていました。

そういった状況を見た片山氏は、高性能かつ安価でジャガーEタイプやポルシェ911に迫るようなスポーツカーがあれば必ずヒットすると考え、パワフルでクローズタイプのスポーツカーの開発を提言。

かくして完成したのが「フェアレディZ」です。初代(S31型系)が発売されたのは1969年のことでした。

出典:NISSAN Heritage Collection(https://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=75)

出典:NISSAN Heritage Collection(https://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=75)

▲初代フェアレディZ(S31型,1977年)

初代フェアレディZは、ヨーロッパの高級スポーツカーに負けずとも劣らないスタイリッシュなデザインや性能でありながら、価格は1/3程度という魅力的なクルマ。思惑通り、アメリカで爆発的ヒットとなります。

当初の販売目標であった月1,600台をあっという間に達成し、生産が間に合わずに1年分のバックオーダーを抱えるほど。1978年までの10年間で世界総販売台数55万台を記録し、スポーツカーの販売記録を塗り替えました。

1971年には2,400ccモデルである240Zがサファリラリーに初出場し、総合優勝・2位という好成績を収めたことも、フェアレディZの人気に拍車をかけました。

フェアレディZの発展から生産終了…そして復活まで

出典:日産公式(https://www3.nissan.co.jp/vehicles/new/z/exterior_interior.html)

出典:日産公式(https://www3.nissan.co.jp/vehicles/new/z/exterior_interior.html)

フェアレディZの活躍は、ダットサンブランドのイメージリーダーとしてブランド力を向上させただけでなく、安くて頑丈という日本車全体のイメージアップにも貢献しました。

1978年には2代目が発売し、またもアメリカで大ヒット。1年足らずで生産台数10万台を記録し、1983年には累計100万台を達成するに至ります。日本国内においては、人気ドラマ『西部警察』に2代目の改造モデルが登場して話題となりました。

1983年には3代目がデビュー。それまでの丸目ヘッドランプを改め、(セミ)パラレルライジングヘッドランプという開閉式の個性的なヘッドライトになります。

またこの頃の急激な円高によって、安い・実用的なスポーツカーというかつてイメージは一変し、より高性能化が進んでいたことも重なって、フェアレディZはラグジュアリーなスポーツカーへと立ち位置を移していきます。

そして、1989年には4代目が登場。初代から続いていたロングノーズ・ショートデッキというスタイルを一新し、ワイド&ローなスポーツカーに生まれ変わりました。

出典:NISSAN Heritage Collection(https://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=215)

出典:NISSAN Heritage Collection(https://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=215)

▲4代目フェアレディZ(HZ32型,1992年)

スタイルやパフォーマンスはもちろんのこと、あらゆる面から完璧なスーパースポーツカーを目指して開発され、このモデルは歴代車種のなかでも特に人気のあるモデルとなっています。

このモデルは、国産車で初めて280馬力をマークしたことでも有名。これをきっかけに、国内では運輸省の指導のもと、2004年まで280馬力の自主規制が敷かれることとなったのです。

そういった伝説を持つ4代目ですが、販売台数の減少や安全基準の適合が困難などの理由により、2000年9月には生産中止。アメリカへの輸出も1996年にはストップしていました。

フェアレディZの歴史はそこで途絶えたと思われたものの、日産はルノーとの提携を経て態勢を立て直し、2002年には満を持して5代目にモデルチェンジしたフェアレディZが復活。伝統を受け継ぎながらも、より現代的なクルマとして生まれ変わります。

そして、現行モデルとなるのが2008年から発売されている6代目。シリーズ最大のパワーを誇り、かつて大型化してきた歩みとは逆に、先代よりもホイールベース・全長が短縮されました。

それによって機敏なハンドリングにも磨きがかかり、空力性能もさらに向上。ヒトとマシンの一体感や、純粋な走りの楽しさを味わえるようなクルマとなっています。

このようにして、フェアレディZは半世紀の歴史を歩んできました。時代とともに立ち位置は変化してきたものの、今もなおスポーツカーのジャンルに新しい風を吹き込んだ存在として語られており、日本を代表するスポーツカーとして世界で支持されているのです。

本物の“スポーツカー”を追求し続けるクルマ

出典:日産公式(https://www3.nissan.co.jp/vehicles/new/z/exterior_interior.html)

出典:日産公式(https://www3.nissan.co.jp/vehicles/new/z/exterior_interior.html)

ごく一部の人々しか乗ることのできなかったスポーツカーを、世界的に一般ユーザーにまで浸透させるきっかけを作った日産・フェアレディZ。世界一売れたスポーツカーとも言われるこのクルマの功績は大きく、日本が誇る名車のひとつと言えるでしょう。

近年は、特に人気を博した車種のデザインをリメイクしたモデルなども発売され、近々フルモデルチェンジするかもしれないという情報も。半世紀にわたって一筋に“スポーツカー”を追求し続けてきた勢いは止まることを知らず、今後にも期待が高まります。

*記載している内容は取材時のものです。

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