知る楽しみ 【クルマが運ぶ、エピソード①】『灰色の街を父親と』著:ゆりいか
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  • 2016.11.29

【クルマが運ぶ、エピソード①】『灰色の街を父親と』著:ゆりいか

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クルマのある生活を綴る新企画”クルマが運ぶ、エピソード”。第1回目の今回は、歌舞伎町ゴールデン街の文壇バーで活躍する、ゆりいかさんに自身の高校時代のエピソードを寄稿していただきました。

1.ほぼ毎日、父親といっしょにクルマに乗っていた

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MD(ミニディスク)を覚えているだろうか。
90年代から2000年代まで流行した光学ディスクで、音楽の再生・録音用に使われていたものだ。薄いカートリッジに収納されたディスクはCDよりも小さく、傷がつきにくく持ち運びに便利だった。長時間の録音やダビングも簡単にできることから、当時レンタルショップでは、店のカウンターに必ずと言っていいほど常備されていた。

中学から高校時代にかけて、僕はこのMDにハマっていた。時間ができれば、CDやテレビに端子をつなぎ、自分の好きな音楽をダビングしていた。貴重なライブ演奏や、深夜のラジオで流れる楽曲なども、気軽に録音してコレクションするのが楽しかったのだ。

特にゲームで流れるミュージックを録音して、自分だけのゲームサウンドトラックを作るのは、複雑な機材の裏技を見つけてしまったような気分もあって、不思議な熱中が自分を包んでいた。学生カバンに教科書よりもMDを大量に詰め込んで通学していたこともよく覚えている。

とは言っても、僕がMDを愛用していたのは、世間に普及してから最盛期を過ぎた2000年代の中盤である。福岡の田舎在住だったこともあり、iPodといったMPプレーヤーを持っている人間は非常に珍しかった。「Goodbye MD」という宣伝で、日本に上陸したiPodだったが、まだまだ地方にその風は届いていなかったのだ。

だから、友だちと好きな音楽を交換し合う際はもっぱらMDだった。時には好きなアーティストの曲のダビングをお願いしたり、レアな音源を自慢し合ったりもした。

ウォークマンを中心に、様々なオーディオ機器に導入されたMDは、当然のようにクルマのオーディオコンポにも採用されていた。調べたところ、少なくとも92年頃から、クルマにMDデッキが搭載されはじめ、2001年以降から長時間の録音に対応したMDLP(ミニディスクロングプレイ)が普及したようだ。

当時の僕の父親のクルマにも、MDデッキは搭載されていた。家族用の大きなワゴン車で、車種まではさすがに覚えていないが、扉を開けるとうっすらとする父親っぽい匂いは未だに忘れることができない。

僕は、高校の3年間、ほぼ毎日、父親といっしょにクルマに乗っていた。

2.沈黙が嫌なので、1人イヤホンをつけてMDで音楽を聴いていた

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父親の通勤と僕の通学はほぼ同じ道だった。高いバス・電車代を浮かせるために、学校にバレないギリギリの距離まで送ってもらっていたのである。

毎朝、6時に起床し7時までには家を出ていなければならない。福岡県の学校では、毎朝7時30分頃から、「0時限目」と呼ばれる朝課外の時間があり、それまでに全員着席して勉強をしていなければならないからだ。

眠気で朦朧とする頭を無理矢理動かし、クルマの助手席に乗り込む。常備されている眠気覚ましのガムを箱から取り出して、ゆっくりと噛み砕く。父親はタバコを一服し終わると、エンジンを駆動させ、ノッソリと走り始める。

心地よい振動が、座席に伝わってくる。ふたたび寝入りそうになるのを耐えて、その日の宿題や予習部分に目を通すのである。

通学する道はいつも決まっていた。海沿いに広がる工業地帯の側を走るため、周囲はまだ稼働していない静かな工場地が広がり、灰色の煙をゆるやかに吐き続ける煙突を何本も通り過ぎていく。つくづく灰色の似合う街だと、その頃の僕は思っていた。

運転中、父親はあまり自分から話しかけてこなかった。そもそも、家にいても口数は少なく、自分からはすすんで話したがらない人だったように思う。帰宅しても、テレビをずっと観ているか、部屋で仕事をしていたので、いっしょに遊んだという記憶もあまりない。

正直に言えば、そんな父親を僕はどこかで怖がっていたように思う。話しかけたら、気分を悪くするのではないかとビクビクして、あまりこちらから接することがなかった。何を考えているのか分からない人、高校に入学するまでの父親へのイメージはそんな感じだったのだ。

静かな車内、沈黙が嫌なので、1人イヤホンをつけてMDウォークマンで音楽を聴いていた。カーオーディオを自分が勝手に扱うのは、タブーであるような気がしていたからだ。父親は、特にカーオーディオをいじったりはしなかった。時々、天気と交通情報を確認するために、ラジオをかける程度である。

クルマの中には、ただただ列をなして通り過ぎていくトラックのエンジン音が、けたたましく響いてくるだけであった。朝はまだ遠くにあるように思えた。

3.MDの選曲は父親から与えられた大切な役割のように思った

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ある日のことだ。父親は、僕がカバンに収めていたMDの束をチラリと見て、「何か、かけてもいいぞ」と言った。

少し驚いたが、僕はおそるおそる自分が持ってきたMDの中から、一番流しても運転に差し障りなさそうな曲を選んで、デッキに差し込んだ。(たしかノラ・ジョーンズの1stアルバムだったんじゃないかと思う。)

父親は何も言わなかった。ただ曲を聴いていた。僕はこれが気に入られなかったらどうなるんだろう、と冷え冷えとした心境だった。父親に趣味を否定されることほど、怖いものはないような気がしていた。

学校付近に着くと、親父は僕の方を振り向きもせずにMDを抜き出し、「行って来い」と言った。その声の感じから、別に不愉快だったわけじゃないんだろうとは思った。許されたような気がして、少しホッとすると同時に、父親が自分に興味をもってくれたような気がして嬉しかった。

いつの間にか、朝に僕が持参したMDを車内で流すのが日課となっていた。僕は、自分が最近見つけたバンドやアーティストの曲を流しては、父親の横顔をチラッと眺める。

その頃から気がついたのだが、父親は分かりやすくその時の気持ちが顔に表れるタイプの人だったのだ。趣味じゃない音楽が流れている時は仏頂面になり、好みのものが流れれば、鼻歌も交じる。

何を父親に聞かせればいいのか、どんな音楽であれば反応してくれるのか、僕は少しずつ、分かるようになっていった。

MDの選曲は父親から与えられた大切な役割のように思ったし、それが口数の少ない父親と言う人間を知る手がかりのように思ったのだ。選曲を工夫し、反応しそうな曲をいくつか意図的に差し込むようにした。

「これ、どう?」
「うん、いいんじゃない」
「これは?」
「知らんな」
「これは今周りで流行っとるヤツ」
「チャラいな」
「これこの前中古CD屋で見つけたやつ」
「あー…懐かしいな…」
たどたどしくはあるが、曲の合間にこんな会話を交わすようになった。

そのうち、父親が学生時代に60年代から70年代までの洋楽にハマっていたこと、昔はギターも演奏していたこと、パンクよりはフォークソングのほうが良いと思っていること、3大ギタリストだとジミー・ペイジが一番好きだということ、そんなことが分かるようになってきた。

正直驚いた。無感情にテレビを観て、いつの間にかソファで眠っている姿からは想像ができないほど、父はその昔、好きなものに溢れていた人だったからだ。

父からMDのダビングを頼まれることもあった。それまで、父はMDの扱い方を知らなかったのである。

クルマの中には、空のMDが常備されるようになり、僕がそれに父のリクエストした曲をダビングしていった。そうした役割を任せられることが嬉しかった。

高校3年生になった頃、父は自分で弾くためのギターを買った。家の中で、懐かしい楽曲を練習し、父と車中で音楽の話をするのが日課となった。

これまで、足りなかった何かがクルマの中で少しずつ埋まっていくような感じがした。それは、僕がずっと求めていたものだったかもしれない。

灰色の風景に、朝焼けが差し込む。クルマは少しずつ暖かくなっていく空気の中を静かに走り続けた。

4.買ったばかりのiPhoneからボブ・ディランが流れ始めた

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先月、父親とドライブをした。僕が運転席に乗り、父親が助手席に座る。工業地帯の側には巨大な都市高速道路が完成し、かつてのような大型トラックの列は少なくなっていた。

クルマには以前のようなMDを挿入する差込口はない。高性能なカーナビとiPhone同期用のUSBの差込口があるだけ。実家の部屋の隅に置いてあったMDの棚は、パソコンのダビングソフトで全てMP3に変換した後、処分してしまった。

高校を卒業してから8年が過ぎたのだ。その間、ろくに帰郷もしなかった僕にとって、父を乗せてのドライブは初めてのことである。正直、この帰郷は自分にとって重苦しいものだった。

親孝行らしいことを何一つできず、フラフラとした進路のまま東京で過ごしている僕を、心中でどう思っているのか、計り知れなかったからだ。

評判のうどん屋があるというので、出かけてみようと父に誘われたのがドライブのきっかけだった。あまり気乗りしなかったが、こんな機会も滅多にないので自分が運転することにした。正直、人を乗せて走るのも、あまり慣れていない。

うどん屋までの道のりは、偶然、僕の通学ルートと近いところにあった。車中、僕は父親に何か聴きたい音楽があるなら流してよ、と言った。

父は買ったばかりのiPhoneをたどたどしくフリックして曲を選んでいた。ボブ・ディランが流れ始めた。

仕事はどうだ、彼女とはうまくやっていけているのか、友人の◯◯は元気か、東京の住み心地はどうだ、と父親はこちらが驚くほど、いろんなことを質問してきた。

高校時代に比べて、ずいぶん喋るようになったような気がした。僕が少し大人になったことで、接しやすくなったのかもしれない。話が途切れることはなかった。

「これから、どうするんだ」
「とりあえず、まだ東京で生活したい。向こうで大切な友だちができたし、やりたいこともまだまだたくさんあるから」
そうか、楽しそうでいいな、と父は笑った。

うどん屋で食事を済ませた後、運転を交代した。父の運転は、高校の頃からまるで変わっていなかった。
「次は、君がかけなさい」
ボブ・ディランのアルバムが流れ終わった後、父は優しくそう言ってくれた。

僕は、その時、自分が一番好きな音楽を流した。
もう、夕焼けが近かった。

作者:ゆりいか
ライター.読書会主催
2010年より、WEB上で「Twitter読書会」の運営をはじめ、文芸について語り合うイベントの開催や、作家、評論家への取材、インタビューを実施。大学卒業後からライターとして、カルチャー誌やWEBサイトにて執筆を行っている。また、2016年より新宿ゴールデン街のプチ文壇バー「月に吠える」にて月曜日担当のバーテンを務めている。執筆協力に『刀剣聖地巡り』、『緊縛男子』(一迅社)など。

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